眼は化石にならないので,何もない状態から現在のわれわれのもっているような複雑さと完全さをそなえた眼が進化するのにどれくらいの時間がかかったのか,わからない。しかし,それに利用できる時間は数億年である。比較のために,人間がイヌを遺伝的に淘汰することによってはるかに短い期間で生みだしてきた変化を考えてみよう。数百年ないしはせいぜい数千年のうちに,われわれはオオカミからペキニーズ,ブルドッグ,チワワ,そしてセントバーナードまでつくってきた。悲しいかな,それらはしかしやっぱりイヌではないか。違う「種類」の動物になったりしていないではないか。なるほどそのとおりだ。そういう言葉遊びが慰めになるというのであれば,それをすべてイヌと呼んでもかまわない。しかし,それに要した時間についてちょっと考えてほしい。オオカミからこうしたイヌのあらゆる品種を進化させるのにかかった時間を,ふつうに歩くときの一歩で表してみよう。それと同じ尺度で,あきらかに直立歩行をしたもっとも初期の人類の化石であるルーシーや彼女の仲間にまで遡るためには,どれくらい歩かねばならないだろうか?ロンドンからバグダッドまでずっととぼとぼ歩かねばならない距離というのがその答えだ。オオカミからチワワまで進んだときの変化の総量について考え,それにロンドンとバグダッド間の歩数を乗じてみよう。そうすれば,自然界に実際に起こった進化において期待できる変化量について,ある直感的観念が得られるだろう。
リチャード・ドーキンス 日高敏隆(監訳) (2004). 盲目の時計職人 自然淘汰は偶然か? 早川書房 pp.79-80.
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