スーザン・クランシーは,自分の研究について紹介した本のなかで次のように述べている。「私の一番幸せな思い出について友人が質問してきたとき,じっくり考え込んでから答える必要はなかった。私はすぐに,アスペンで過ごしたある日のことを思い出した。ある休日のことで,ゲレンデには真新しいパウダースノーが3フィートも積もっていて,私はオーストラリア人でスキーのインストラクターをしている新しい素敵なボーイフレンドと一緒にスキーに出かけた。午後遅くのことだった。迂回コースを滑った後で,彼のコンドミニアムのルーフデッキにある温水プールに入った。雪が降り始め,大きくて美しいぼってりとした雪のかけらが,彼の金色の髪のなかで溶けた」
色鮮やかに語られ,幸せに彩られた光景が目に浮かぶようだ。誰もがこのような記憶を持っているのではないだろうか。もちろん,すでにおわかりのように,これは再構成された記憶だが,間違っているとは限らない。けれども,このケースに限っては,間違いだったのだ。
「この話を聞いて,友人は笑い出した」とクランシーは続けた。「そして私に,別の分野を研究するように勧めた。なぜか?というのは,彼女もそこにいたからだ。彼女は,私にとってそこまで楽しい思い出ではなかったことを思い出させてくれた。私は雪質に合わないスキー板をはいてしまい,転んでばかりいた。ボーイフレンドはゲレンデのこぶでジャンプするたびに『まったく最高だぜ!』と叫んでばかりいた。私は風邪をひいていて,本当は温水プールに入りたくなかったし,6時までに仕事に戻らなければならなかった。そして借りた水着はたるんでいて,ずっと気泡でぶくぶくいっていた。雪も降っていなかった」
記憶の働きをよく知っているクランシーでさえ,実際に起ったことから,自分が望む方向に記憶を歪めてしまったのだ。
カール・サバー 越智啓太・雨宮有里・丹藤克也(訳) (2011). 子どもの頃の思い出は本物か:記憶に裏切られるとき 化学同人 pp.155-156
(Sabbagh, K. (2009). Remembering Our Childhood: How Memory Betrays Us, First Edition. Oxford: Oxford University Press.)
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