「日常の経験」について私たちの常識からは考えられないようなことが,科学的な研究によって次々と明らかにされている。もし日常的な経験から推測できるとの理由から,記憶や知覚,判断,トラウマ,そのほかの人間の諸相に関する新たな研究成果が,法廷でまったく認められないとすれば,次に紹介する事例のような事態が起こりかねない。数年前に,バスから転落したある女性に対して,後にダウン症の子どもが生まれたのは転落が原因であるとして損害賠償を認めたケースがあった。ダウン症は染色体の異常が原因であり,この染色体異常は外的な怪我や衝撃では生じることはないだろう。このケースでは相反する専門家証言が提出されたのだが,「おそらく転落が原因でダウン症になったに違いない」という「日常の経験」にもとづいた陪審員の推論だけでも,このおかしな評決を導き出すのに十分だったかもしれない。
カール・サバー 越智啓太・雨宮有里・丹藤克也(訳) (2011). 子どもの頃の思い出は本物か:記憶に裏切られるとき 化学同人 pp.211-212
(Sabbagh, K. (2009). Remembering Our Childhood: How Memory Betrays Us, First Edition. Oxford: Oxford University Press.)
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