もちろん,真の科学においても,心理療法家の「自我」や「足跡」と同じような,仮説的な概念を見つけることができる。電子,ブラックホール,抗体,遺伝子。物理的に存在することが明らかになる以前から,これらはすべて,科学論文をはじめとした科学的なコミュニケーションのなかで使われていた概念だ。しかし,こうした概念に対応した物質が実存するだろうと考えられる理由について,科学者の間で合意があった。通常,綿密で系統立った研究から得られた観察データにもとづいているからこそ,科学者の間でこのような合意が成り立つのだ。そして,その存在をどうやって検出するのか,またほかの概念や理論で説明できる可能性をどうやって排除するのか,という方法論についても,科学者の間で合意がある。ところが精神疾患の原因が「子どもの頃の性的虐待」にあるという理論を信じる人たちの間には,そのような合意がなされていない。虐待が精神疾患を引き起こすメカニズムについても,そのほかの要因ではなく虐待が原因であると証明するための方法論においても,さらには「記憶」を掘り起こす方法やその治療効果を扱うための方法についても,研究者の間で合意がなされていない。
カール・サバー 越智啓太・雨宮有里・丹藤克也(訳) (2011). 子どもの頃の思い出は本物か:記憶に裏切られるとき 化学同人 pp.219
(Sabbagh, K. (2009). Remembering Our Childhood: How Memory Betrays Us, First Edition. Oxford: Oxford University Press.)
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