心理療法家の4人に1人は過去世への退行を信じており,催眠を利用することで患者を生まれる前の,前世にまで戻らせることができると信じている。本人は知らないはずの生まれる以前の人生について催眠状態の患者が詳しく話し,その内容が後の調査によって確かめられたような劇的な出来事に出会うことで,心理療法家は自分の考えが間違っていないのだと確信を深めている。もっとも印象的な出来事は,カーディフの催眠療法士が手がけた,ウェールズの主婦ジェーン・エヴァンスについての記録テープだ。どうやら彼女には6つの前世があり,それぞれについて語られた内容は細部にわたるもので,鮮明で説得力があった。
どれについても同じポイントが指摘できるのだが,ここではその1つだけを紹介しよう。前世のエヴァンスは,リヴォニアという名前の女性で,ローマ帝国時代に大ブリテン島を支配していた皇帝の息子に家庭教師をしていたタイタスという人物の妻だったという。催眠状態で回復された彼女の記憶についてのドキュメンタリー映画があり,それを観た視聴者は,ヨークでの暴動について,彼女が迫真の説明をしている録音テープに聞き入った。ヨークは前世で彼女が住んでいた都市で,暴動によって彼女と家族はセントオールバンズへ逃亡した。彼女はまた,1190年にヨークで起こったユダヤ人の大虐殺について,ゾッとするような話をした。にも関わらず,催眠状態が解けると,これらの話については何も知らないし,ラテン語の名前についてもなじみがなく,歴史的な事実であるヨークでのユダヤ人虐殺についても聞いたことがないと彼女は主張した。
しばらくの間,ジェーン・エヴァンスの前世は本やテレビのドキュメンタリーでひっきりなしに取り上げられていた。そして誰も彼女が既存の情報源からそのお話を引っ張り出してきたという証拠を挙げることができなかった。ローマ帝国時代のブリテン島研究の権威であるブライアン・ハートリー教授がこのテープを聴いたとき,次のようにいった。「一般の人が知らないはずの何らかの史実を彼女は知っています。このような話の概略をつくり上げようと思ったら,膨大な量の公刊された研究を参考にしなければならないでしょう」
ハートリーは正しかった。これを証明したのは,疑わしい主張についての,恐れを知らない調査官,メルヴィン・ハリスだった。ジェーン・エヴァンスが6つの前世を生きてきたわけではないとハリスは確信していた。とはいえ,話をつくり上げるために「膨大な量の公刊された研究」を調べてまとめあげるほど,エヴァンスに素養や学歴があるようには思えなかった。インターネットが普及する以前のことで,彼女が語る非凡な物語のルーツが何であるのかをハリスが確かめるのは,骨の折れる仕事であった。最終的に明らかになったそのルーツとは,何年か前に読んで詳しく覚えていたのであろう,ローマ帝国時代のブリテン島について書かれた小説だった。
苦労のすえ,ついに彼はその小説を発見したのだ。それは1947年にルイズ・デ・ウォールによって書かれた『生きている樹』(The Living Wood)という本で,ジェーン・エヴァンスが語った物語と同じ登場人物,出来事,場所が記載されていた。
エヴァンスは,「無意識の剽窃(クリプトムネジア)」と呼ばれる記憶現象を体験したのだ。これは本や詩などの文章を読むが,その後で読んだことを忘れてしまい,内容だけ再現して自分自身で考えたことだと思ってしまう現象である。以前に見たことがあるという認識がまったくないこともあるが,無意識の剽窃が起こると,盗作だとして非難されることが多い。ジェーン・エヴァンスの話が「膨大な量の公刊された研究」を参考にしたというハートリーの指摘は正しかった。ただし,膨大な量の研究をまとめ上げたのはエヴァンスではなく,小説家のルイズ・デ・ウォールだったというだけのことだ。
カール・サバー 越智啓太・雨宮有里・丹藤克也(訳) (2011). 子どもの頃の思い出は本物か:記憶に裏切られるとき 化学同人 pp.244-246
(Sabbagh, K. (2009). Remembering Our Childhood: How Memory Betrays Us, First Edition. Oxford: Oxford University Press.)
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