くり返しになるが,子どもの頃に受けた虐待の記憶が抑圧される,という概念が生まれたのは2つの背景がある。1つには,子どもへの性的虐待は社会に広まっているが,これまで見過ごされてきた問題であり,そのため加害者が野放しになっているという世論が高まってきたことが挙げられる。もう1つには,抑圧された記憶を支持する人の間では,説明のつかない精神疾患が膨大な数にのぼっていることが,社会に性的虐待が蔓延していることを示す兆候の1つだと考えられていることが挙げられる。この2つの要因は関連が深く,相性がよいのかもしれない。つまり,もし精神疾患の原因が子どもの頃に受けた虐待にあるとすれば,精神疾患を抱える患者の数だけ虐待がはびこっていることになる。だが,抑うつやパニック障害,強迫性障害,摂食障害の患者の多くに,子どもの頃に虐待を受けた記憶がない。だとすれば,それは記憶が抑圧されていることを意味しているに違いない,というわけだ。
これまで見てきたように,何千もの児童虐待に関する話が,心理療法家やクライエントの家族のもとに,そして法廷に届いている。それも,告発の対象となった出来事が起こってから何年も経ってから,その間,被害者だと名乗り出た者に虐待の記憶はまったくなかったのに。また,同じくここまで見てきたように,ロフタスやマクナリー,ブラックやシンのような心理学者は,これとはまったく別の説明を唱えている。抑圧された記憶という新しい現象を生み出す必要のない考え方だ(もっとも,偽りの記憶という新しい概念をつくり出してはいるが)。
カール・サバー 越智啓太・雨宮有里・丹藤克也(訳) (2011). 子どもの頃の思い出は本物か:記憶に裏切られるとき 化学同人 pp.270
(Sabbagh, K. (2009). Remembering Our Childhood: How Memory Betrays Us, First Edition. Oxford: Oxford University Press.)
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