人間心理の「真実」を明らかにするために,科学は優れた方法を次々と発展させてきたけれど,世間一般には相変わらず記憶はビデオテープのようなものだというイメージが根強く残っている。しかし,自分の記憶について振り返ってみるだけでも,記憶がビデオテープのようなものではないことがわかるだろう。私が非公式に行ったメールによる調査に協力してくれた回答者のなかには,頭のなかのスクリーンにはっきりと映し出された記憶が,事実ではなかったことに気づいた人もいた。ただし,直感的に気がついたわけではなく,よくよく考えてみたところあり得ないことに気がついたのだ。その人は英国の片田舎で,家族で飼っていたラブラドールと遊んでいる父親の姿を覚えているけれど,本当はそのとき父親はエジプトに行っていて,そのまま帰ってこなかったことが判明している。そうだとわかっているけれども,いまもその記憶があるのだ。
そんなことにおかまいなく私たちは,法廷やプレイルームで子どもに何を覚えているか質問し,その質問に対して子どもが答えた内容を正確な記憶であるかのように受けとめる。少なくとも,子どもの記憶が正しいかどうかを判断するときの基本姿勢は,子どもの話に耳を傾け,それを信じることから始まる。おそらくは,記憶内容の矛盾に突き当たることではじめて,記憶が間違っている可能性を考え始めるのだ。
残念なことに,まだまだ先は長い。幼い子どもから事情を聞きとる警察官やソーシャルワーカーのなかにはいまだ,記憶は「ビデオテープ」のようなものだと考えている人がいる。さらにそういった人たちは,子どもの語る体験内容を変容させてしまう誘導的な質問の悪影響について積み重ねられてきた数多くの研究成果をほとんど知らないか,少なくとも,そういった研究成果をほとんど信頼していない。そのため,インタビューするものが望んだとおりの供述を,子どもから引き出すことになる。おまけに,子どもは権威のある人が望むようなことをいうだけでなく,誤った話や嘘の話を自分自身でも信じ込んでしまうことがある。科学的な研究によれば,子どもの頃の記憶がもともと正しくても誤っていても,子どもが成長するにつれて,その記憶はだんだん正確になっていくことはなく,不正確になるだけだ。時間の経過とともに,記憶が以前より正確になることは決してないのだ。そして,記憶の正確さを損なう要因が日常生活にはたくさん潜んでいる。たとえば,自分で記憶を振り返ること,記憶の自然な減衰,他者との会話,覚えていたい・忘れたいという願望,人からよく見られたいという願望,似たような印象の記憶どうしを誤って結びつけてしまうこと,これらは記憶の正確さを損なう要因のごく一部だ。
カール・サバー 越智啓太・雨宮有里・丹藤克也(訳) (2011). 子どもの頃の思い出は本物か:記憶に裏切られるとき 化学同人 pp.320-321
(Sabbagh, K. (2009). Remembering Our Childhood: How Memory Betrays Us, First Edition. Oxford: Oxford University Press.)
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