人間というのはすべての情報を二進法で表すデジタルな生き物ではない。こちらが単音節のイエスかノーか,1か0かという簡潔な答えを要求したとしても,たいていの人が幼い頃から社会的コミュニケーションの重要性をたたき込まれているため,まず間違いなく返事にはお世辞,ジョーク,世間話など,よけいな文句がついてくる。これはもう人間の習性というか,本能みたいなものだろう。ぼくの耳の状態をよく知っている言語聴覚士でさえ,ぼくの耳から取りはずした補聴器を自分の手に持ったまま,ぺらぺら話しかけてくることがある。そういうとき,ぼくは顔に寛大な笑みを浮かべて手を差し出し,彼にストップをかけなければならない。健康な耳をもつ人たちにとって,まったく何の音も聞こえない状況というのは想像できないようだ。目が不自由で何も見えない状況は,アイマスクをしたり,目を閉じたりすれば簡単に疑似体験できる。しかし,どれほど密閉性の高い耳栓をしたところで,聴者が周囲の音を完全にシャットアウトすることはできない。聴覚は常時働いており,いつだって周りの世界と結びついている。
マイケル・コロスト 椿 正晴(訳) (2006). サイボーグとして生きる ソフトバンク クリエイティブ pp.15
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