わが子に障害があることを知った親は,大変なショックを受ける。人の子の親となれば誰しも,わが子が初めて歩けるようになる日,入学式,卒業式,初デート,成人式,結婚式といった人生の節目となる出来事を思い浮かべ,子どもがすくすくと成長していくことを心から祈るものだ。そして,漠然とした遠い将来のことではあるが,子どもより先に墓に入りたいといったことまで考える。ところが,子どもの目や耳が不自由であったり,子どもが身体障害のために歩けなかったりすると,こうした楽しみな将来が消えてなくなってしまう。彼らは,自分の子どもが健康で自信と誇りに満ちあふれた大人になることを想像できなくなり,代わりに車椅子,白い杖,補聴器,たどたどしい発話,一生誰かに頼って生きていかなければならないことなど,マイナスのイメージを頭に浮かべてしまうのだ。ぼくの両親は,絶望的な気持ちになり,何日間も悩み続けた。
だが,生まれつき耳が不自由な子どもにとって,教育熱心な親をもつことは大変なプラスになる。ぼくの母は,大学で視覚障害教育を専攻した。乳は児童心理学者だった(今もそうだ)。彼らは,聴覚障害の専門家を探し,残存聴力を補強するための手段について学び,どのような選択肢があるかを調べる作業に取りかかった。ぼくに手話を習わせることも検討したが,結局,ほかの選択肢がすべてうまくいかなかったときの最後の手段とすることにした。両親は,ゆくゆくはぼくに特殊教育ではなく通常教育を受けさせ,ぼくが普通の暮らしを送れるようにしようとした。なんとかして普通に英語を話せるようにすることはできないか,聞き話す能力をもつ人たちに開かれているチャンスをつかめるようにすることはできないかと,真剣に考えてくれたのだ。
マイケル・コロスト 椿 正晴(訳) (2006). サイボーグとして生きる ソフトバンク クリエイティブ pp.53-54
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