実は,聾者の世界が2つに分裂する事態が長く続いてきた。一方では,耳の不自由な子どもたちは手話を第一言語として学ぶべきだと考える人たちがいる。手話こそ,そうした子どもたちが自由に使いこなせる唯一の言語であり,手話を身につければ,結束の固い聾社会のメンバーになれるというのがその理由だ。それに対して,耳の不自由な子どもたちには手話ではなく,読心術と英語を教えるべきだと考える人たちもいる。そうすれば子どもたちが聾社会よりも広く大きな世界に参加できるからだ。こちらの考え方は,「口話主義」と呼ばれている。
補聴器は,この議論の行方を左右する要因とはならない。なぜなら,まったく耳の聞こえない人が補聴器を使用しても,やはり何も聞こえないからだ。ところが,人工内耳は,何も聞こえない耳を聞こえるようにすることができる。言葉を聞き話す能力が正常に発達するためには,生後4,5年のうちに聴覚皮質に言語情報がインプットされる必要があるので,人工内耳が先天的に耳が聞こえなかった成人に与える影響は限定的である。しかし,聾の子どもが人工内耳手術を受ければ,その子の将来が大きく開ける可能性がある。子どもの場合,生後なるべく早い時期に音声情報を得られるようになれば,聴者と同等の会話能力を身につけることができるかもしれないからだ。2004年に発表された調査結果によれば,生後12〜18ヵ月の間にインプラントを埋め込んだ子どもたちの3分の2が,半年後には健康な耳をもつ子どもたちと同じ言語運用能力レベルに到達したという。もちろん,レベルと言っても幅があり,彼らの言語運用能力はその下限に近かったわけだが,とにかく一定の範囲内には収まっていた。
マイケル・コロスト 椿 正晴(訳) (2006). サイボーグとして生きる ソフトバンク クリエイティブ pp.184-185
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