Elkind(1967)は,他者の思考を考慮することができる能力が青年期の自己中心性の基礎になると考えた。そもそも他者が考えていることと自分自身の関心とを区別することはきわめて難しい。だから若者は,自分がある考えや問題に取りつかれると,他者もそのことに関心をもっているに違いないと考えてしまうのだ。
Elkindは,具体例として,青年の容姿をあげる。概して,10代は自分が他者の目にどう見えるかを非常に気にし,他者も自分と同じくらい容姿に関心をもっていると思い込む。Elkindはこれを「想像上の観客」という概念に結びつけた。自己中心性のため,青年は現実の社会状況であれ想像上の状況であれ,他者の反応を常に予期している。しかしながら,これらの反応は,他者も自分のことを自分自身と同じくらい批判や称賛をもって見ているという前提のうえに立っている。このように,10代はたえず想像上の観客を構成し,それに向けて反応している。そしてこのことが,青年の行動の多くを説明するのである。たとえば若者の自意識とか,プライバシー願望や,服装への関心や,鏡の前で長い時間を過ごすことなどは,すべてこの「想像上の観客」という概念に関連しているのである。
青年期の自己中心性のもうひとつの重要な側面は,Elkindが「個人的寓話」と呼ぶところのものであり,たとえば感情の過剰分化がある。おそらく青年は自分が多くの人にとって非常に重要な存在だと信じているため,自分の関心や感情は非常に特殊で独自なものだと思い込むようになる。自分の個人的な惨めさや苦しみが独自なものだという信念は,もちろん文学においてはおなじみのテーマであり,Elkindはこれは若者が個人的寓話を作り上げる基礎になっていると考えた。つまり,個人的寓話は個人の自分自身についての物語であり,万能感や不死といった幻想を伴って作られる神話なのである。それは本当の話ではないが,意義のある目的のために役立つものであり,いくつかの有名な青年の日記に典型的に現れている。この種の材料を見ると,ひとは青年期の経験が普遍的な意義をもつという信念に至るが,個人的寓話が作り出されるのもこの信念からである。
Elkindは,想像上の観客と個人的寓話という青年期の自己中心性の基礎をなす2つの側面は,青年期の認知的行動を説明するのに役立つものであり,問題を抱えた青年の治療においても助けとなるという。
J.コールマン & L.ヘンドリー 白井利明ほか訳 2003 青年期の本質 ミネルヴァ書房
PR