最近50年くらいの間に,医者対患者の関係には大きな変化が起こった。19世紀後半までの,ほとんどどのような文字をご覧になっても,病院というものは,一般の人々の目には,ほぼ牢獄,それも旧式の土牢まがいの牢獄に近いものと映っていたことがおわかりになるはずだ。病院とは,不潔と拷問と死のうずくまるるつぼであり,墓場へ行く一種の控えの間なのである。程度の差はあっても,よほど生活に困窮しているものならいざ知らず,そんなところへ治療を受けにいこう,などという料簡を起こすものはまずあるまい。そしてとりわけ,医学がちっとも良くならないくせに,いっそうずうずうしくなった前世紀の初めごろには,医療全般は,ふつうの人々から,恐怖と不安の目で眺められた。中でも外科は,特別ひどい,それこそ身の毛もよだつような病的残虐性(サディズム)の一変形にほかならぬもの,と信じられており,死体どろぼうの援助があってはじめて成り立つ解剖にいたっては,降神術(かみおろし)と混同視されてさえいたのだった。19世紀以降,医者や病院にまつわるおびただしい恐怖文学は,枚挙にいとまがないくらいである。
ジョージ・オーウェル 高畠文夫(訳) (1972). 貧しいものの最期 角川書店 pp.196-197. (「動物農場」所収)
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