ホモ・サピエンスの起源をめぐる一連の動きは,私たち現代人の成立を考えるにあたって極めて重要な1つの考え方を生んだ。アフリカ起源説が受け入れられるにつれ,人類学者たちは,アフリカの共通祖先以後現在に至るまでの私たちの技術的・社会的発展は,知力の進化によるものではなく,文化的な変化であったと認識するようになってきたのだ。アフリカのMSAにおける進化の様式をめぐって激しく論争している研究者たちも,この点においては一致している。
この考えは,2つの点において新しい。最初のポイントは,すべての現代人集団が共有する基本的能力というものの由来が,説明しやすくなった点にある。世界中の現代人集団は,培ってきた文化こそ違うが,みな「世代を超えて知識を蓄積し,置かれた環境に応じて,それまでの文化を創造的に発展させていく能力」をもっている。もし多地域進化説が正しく,各地域集団が基本的に各地の旧人から進化したものだとすると,こうした共通性の由来が説明しにくいものになってしまう。しかし私たちが比較的最近に1つの集団から分かれたのであれば,共通点をその祖先集団に求めればよい。
もう1つのポイントは,こうした基本的能力が進化したおおよその時期を絞り込めるうようになったという点だ。ホモ・サピエンスの知力が,過去数万年間に世代を追って少しずつ向上してきたという考えは,今でも一般の人々の間で広く信じられている。3万年前の祖先が舟を使って50キロメートルの海を往復していたとわかれば,ホモ・サピエンスはその時点でそれだけの知力を進化させていたのだ,と受け取られるわけだ。これには,逆に言えば,彼らに現代の造船技術を教えても全部理解するのは無理だという含みがある。しかしアフリカ起源説が示唆するのは,私たちの基本的な能力は,はるか昔の5万年以上前のアフリカの共通祖先の時点で確立していたという可能性なのである。
海部陽介 (2005). 人類がたどってきた道―“文化の多様化”の起源を探る 日本放送出版協会 pp.92-93
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