この事実をどう解釈すべきなのだろうか。東ユーラシアの遺跡では,壁画も彫刻も保存が悪く,残らなかったのかもしれないし,この地域では,岩壁や石や骨ではなく,木の幹や自分の身体や地面に絵を描いていたのかもしれない。しかし本当にそうなのだろうか。もし実際に,東ユーラシアで絵や彫刻といった,芸術らしい芸術が行われていなかったとしたら,私たちは,認めたくないことを認めなくてはならなくなるのだろうか。すなわち,旧石器時代の東ユーラシア人の祖先は,芸術を創造する能力において,ヨーロッパ人の祖先より劣っていたと。
しかし,現代人的な行動能力はアフリカの共通祖先において進化したことが明らかになってきた現在,そのような考えは短絡的であると自信をもって言える。おそらく東ユーラシアの祖先たちは,私たち現代人と同様の芸術創造力をもっていたが,その潜在能力を単に行使しなかったか,または遺物として残るようなかたちではそれを表現しなかったのだ。考えてみれば,新石器時代そして青銅器時代に入れば,独創的な芸術文化が突如として現れる。圧倒的な存在感を示す古代中国の青銅器文化,岡本太郎のアーティスト魂を震わせたというエネルギッシュな装飾をもつ日本の縄文土器……,まるで旧石器時代の静寂がうそであったかのようにである。ヨーロッパのクロマニョン人たちが盛んに芸術活動を行った背景には,むしろ特殊な環境要因があったのかもしれない。第5章で述べたように,一部の研究者たちは,ネアンデルタール人の存在が当初西アジアにいたクロマニョン人の社会に緊張をもたらし,芸術を含む上部旧石器文化の誕生を刺激したと考えている。
絵や彫刻だけでなく,音楽,ダンス,詩など,芸術は,すべての現代人集団に普遍的なものである。このようなホモ・サピエンスの芸術を創造する能力は,きっとアフリカの共通祖先が備えていたものなのだろう。東アジアでの芸術活動の証拠は,確かに全部覚えてしまえるほどの数しかないが,存在したことは確かだ。そして新石器時代以降に,集団の大規模異動の証拠なしに各地で芸術文化が湧き起こったことは,旧石器時代の祖先たちが,私たち現代人と同様の芸術創造力を潜在的にもっていたことを示唆している。
海部陽介 (2005). 人類がたどってきた道:“文化の多様化”の起源を探る 日本放送出版協会 pp.168-169
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