さらにもう少し想像を進めて,ある粘土の変異タイプが,流れを堰き止めることによって,自らが堆積される見込みを高めているとしよう。これは,その粘土に固有の疵の構造にもとづく偶然の結果である。このタイプの粘土が分布する流れではどこでも,浅く大きな淀んだ池が堰き止められてできて,本流は新しい流路にそらされる。流れのない池では,同じタイプの粘土がさらに多く沈殿する。このようなタイプの粘土の結晶の種子にたまたま「感染」したすべての流れでは,流れに沿って同じような浅い池が次々に増えていく。このとき,本流がそれてしまっているので,乾期になると浅い池は干上がってしまうことがよくあるだろう。粘土は太陽に乾かされ,ひび割れて,いちばん上の層は土ぼこりになって飛んで行く。この塵の粒子はどれも,流れを堰き止めた親の粘土に固有の疵の構造,つまり流れにダムをつくるという特性を与える構造を受け継いでいる。私の家のヤナギから運河に振りそそぐ遺伝情報に喩えれば,この塵はどうやって流れを堰き止めて,最終的により多くの塵をつくるかという「指令」を運んでいる,と言ってもよいだろう。塵は風に乗って遠く,広く運ばれて行くので,それまでこのようにダムを築く粘土の種子に「感染」していなかった別の流れに,いくつかの粘土粒子がたまたま着地する可能性は十分ある。いったん適当な種類の塵に感染すると,新しい流れはダムを築く粘土の結晶を育てはじめ,堆積,堰止め,干出,風食という全サイクルを再現する。
リチャード・ドーキンス 日高敏隆(監訳) (2004). 盲目の時計職人 自然淘汰は偶然か? 早川書房 p.254.
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