それでは,なぜホモ・サピエンスの社会で食料生産がはじまったのだろうか。まず単純な質問からはじめよう。あなたが1万2000年前の社会に生まれ,狩猟採集と農耕・牧畜のどちらかの生活を選べるとしたら,どうするだろう。1か所に定住して農耕や牧畜を行うのは,知性豊かな人が着想した高尚で素晴らしいアイディアであり,そのような選択肢に気づいた集団はすぐさま狩猟採集生活をやめた,というのが100年前の研究者たちの考え方であった。しかし,農耕という新たな選択肢があることに気づいた最初の人々を想像してみたとき,果たして本当にそれが素晴らしいものに見えるだろうか。決断される前に,ふつう農耕・牧畜の方が狩猟採集より格段に手間がかかること,天災に対して不安定な生活スタイルであることを申し添えておこう。
海部陽介 (2005). 人類がたどってきた道:“文化の多様化”の起源を探る 日本放送出版協会 pp.276
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