これまでの研究の蓄積から,ホモ・サピエンスは,20万年前ごろにアフリカで進化したとみなせる。しかし生物集団としての種の確立(つまり旧人の系統から独立しかつ1つの種として特徴的な形態が確立したこと)と,今日の私たちに備わっている文化を創造的に発展させていく能力の進化は,必ずしも同期していなかっただろう。この能力がどのように進化したのかまだはっきりしていないが,これまでに説明してきたように,祖先たちの世界拡散がはじまるおおよそ5万年前までに確立していた可能性が高い。ここでもう一度,カバーにあるブロンボス遺跡の抽象模様を見て欲しい。アフリカ大陸南端にある小さな洞窟の中に,7万5000年間埋もれていたこの模様は,私たちの遠い祖先が文化を大きく発展させていく能力をすでに進化させていたことを示唆している。
本書で「知の遺産仮説」と呼んだ,この考えの意味するところは大きい。つまり現代人は,その内面において30万年前の旧人や20万年前の祖先(つまり最初期のホモ・サピエンス)とは違うが,世界へ拡散しはじめた5万年前の祖先とはほとんど同一だということなのだ。過去5万年間に私たちの内面が全く進化しなかったかと言えば,そうではなかったかもしれない。しかしそうだとしても,その程度はわずかで,本質的なものではななかったろう。
海部陽介 (2005). 人類がたどってきた道:“文化の多様化”の起源を探る 日本放送出版協会 pp.315-316
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