獲得形質にまつわる問題は基本的にこうである。獲得形質を遺伝するのはまことに結構なことなのだが,すべての獲得形質が改善とはかぎらない。実際,獲得形質のほとんど大部分は損傷である。獲得形質が無差別に遺伝されるのであれば,あきらかに進化は一般的な適応的改善の方向には進まない。折れた足や疱瘡の跡も,固くなった足の皮膚や日焼けした肌と同じように次の世代に伝えられてしまう。どんな機械でも,古くなってから獲得した特徴の大部分は,時間の経過により積もり積もった破損によるものであろう。つまり,それはくたびれていく傾向にあるのだ。かりにそうした特徴がある種の走査過程によって寄せ集められ,次世代の設計図に織り込まれれば,あとに続く世代はしだいにがたがたになっていくはずである。新たな設計図を携えて新規まきなおしをはかるのではなく,各世代は全世代に累積した衰えや損傷でじゃまされ,その傷跡を背負って新生活をはじめることになるのだ。
リチャード・ドーキンス 日高敏隆(監訳) (2004). 盲目の時計職人 自然淘汰は偶然か? 早川書房 p.472.
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