ほとんどの感染症には,集団のサイズにおいて臨界点がある。つまり,集団内の個体数と密度がある点よりも低い場合は病気が蔓延しつづけることはないのである。典型例は麻疹(はしか)だ。通常,麻疹は子どもに感染し,約10日間は感染力を保ちつづける。一度かかった人には,生涯,麻疹に対する免疫ができる。麻疹が生き延びるためには,麻疹ウィルス(パラミクソウイルス)はつねに,罹患したことのない人,つまりもっとたくさんの未感染の子どもを見つけなければならない。だから,麻疹は人口密度の高い大きな集団でのみ存在し続けることができる。集団が小さ過ぎても,ばらけすぎていても(ごく近くに住んでいる人々が50万人以下の場合),麻疹ウィルスに触れたことのない子どもがどんどん生まれてくるわけではないので,ウィルスは死に絶える。ということは,少なくとも私たちが今日知っている型の麻疹は,農耕がはじまる以前には存在しえなかったということだ。地球上のどこにも,それほど大きく密集したヒト集団はなかったのだから。水痘ウィルスの場合は事情が異なる。このウィルスは神経系に居座り,のちになって再度,耐えがたい痛みを伴う帯状ヘルペスという形で症状があらわれることがよくあるからだ。子どもたちは祖父母から水痘をもらうこともある。「命は巡る!」のである。水痘の臨界集団サイズは100人未満なので,水痘は長いあいだヒト集団に存在していたのだろうと疫学者は考えている。
グレゴリー・コクラン,ヘンリー・ハーペンディング 古川奈々子(訳) (2010). 一万年の進化爆発:文明が進化を加速した 日経BP社 pp.110-111
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