コンピュータの記憶がうまく機能するのは,プログラマが「大きな地図」に従って情報を保持するからだ。それぞれの情報には,コンピュータのデータバンク内で「アドレス」と呼ばれる特定の位置が割り当てられる。この方式を「郵便番号記憶」と呼ぼう。ある情報を検索するには,コンピュータは該当するアドレスにアクセスするだけでいい(64メガバイトのメモリカードは,およそ6400万個のアドレスを持ち,各アドレスは8ビットから成る「ワード」を1個保存する)。
郵便番号記憶は簡単であると同時に強力でもある。正しく使えば,コンピュータはいかなる情報をもほぼ完璧に保存できる。またプログラマはどの情報でも簡単に更新できる。友人が旧姓のレイチェル・Kに戻ったら,再びレイチェル・Cと呼ぶことはない。郵便番号記憶が,現代コンピュータのほぼすべてのカギを握ると言っても過言ではないだろう。
しかし残念なことに,人間ではそううまく事は運ばない。郵便番号記憶があれば重宝したはずだが,進化が山脈の中で正しい頂きを見つけることはなかった。人間は特定の情報がどこにしまわれているかについて,(「脳の中」というきわめて曖昧なレベルより先では)ほとんど何も知らない。私たちの記憶はコンピュータとはまったく別の論理に従って進化してきた。
人間は郵便番号記憶に代わるものとして,「文脈依存記憶」と呼ばれるものを持つ。探しているものの手がかりを与える文脈をキューとして用い,欲しい情報を探し出すのである。たとえて言うと,何か思い出すたびに,自分にこう言っているような具合だ。「あのう,すみません,脳さん。悪いんだけど,英米戦争(訳注 1812年から14年12月にかけてアメリカとイギリスおよびその植民地間に勃発した戦争)に関する記憶が必要なんだ……該当するものが何かないかな?」脳はこうした問いに答えて,正しい情報を遅滞なくきちんと取り出してみせることも多い。たとえば,私が映画の『E.T.』や『シンドラーのリスト』を監督した人物の名前を尋ねたら,きっとあなたは即座に答えられるのではないだろうか。その情報が脳のどこにしまってあったかは皆目見当がつかないにしても。一般に,私達はいくつものキューを駆使して必要な情報を脳から取り出す。うまくいけば,記憶は細部に至るまで蘇る。この点に関して言えば,「記憶にアクセスする」という行動は,呼吸と同じで,ごく自然になされることだ。
ゲアリー・マーカス 鍛原多恵子(訳) (2009). 脳はあり合わせの材料から生まれた:それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ 早川書房 pp.35-36
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