さらにもう1つ,ヒトの記憶に備わった別の奇癖について考えてみよう。出来事の内容に関する私たちの記憶の詳細さに比べて,それがいつ起きたかに関する記憶はいかにも貧弱である。コンピュータやビデオテープは出来事を秒単位(特定の映画を記録した日時や特定のファイルを変更した日時)まで特定できるが,私たちは何かが起きた年がわかればまだましなほうである。何ヵ月もメディアをにぎわしたニュースですらそうだ。私と同世代の人なら数年前に,2人のオリンピックスケーターにかかわる,いささか低俗なある事件に心を奪われたはずだ。一方のスケーターの元夫がチンピラを雇い入れ,もう一方のスケーターの膝を打ち据えさせた。メダルを奪われないためだった。こうした事件はメディアの格好の餌食で,ほぼ6ヵ月にわたってメディアはこの話題でもちきりだった。ところが現在,平均的な記憶力を持った人にこの事件がいつ起きたかを尋ねたら,その年号を思い出すのすら難しいだろう。何月かに至っては論外だ。
ゲアリー・マーカス 鍛原多恵子(訳) (2009). 脳はあり合わせの材料から生まれた:それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ 早川書房 pp.51
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