討議や評価,あるいは内省の対象となるような,明確に表現された信念を持つ能力は,言語と同様に進化によって比較的最近に得られたものである。この能力はヒトには普遍的に見られるが,他の大半の種では珍しいか,まったく存在しない。そして,比較的最近に獲得されたものゆえ,欠陥の除去が十分に行われていることはまずあり得ないと考えていい。「絶対的な真理」を見つけて符号化する客観的な機械とは違って,ヒトが何かを信じる能力は行きあたりばったりで,進化のつけた爪跡も生々しく,情動や気分,欲望,目的,単純な利己主義に染まっていて,前章で紹介した記憶の奇癖の影響を驚くほど受けやすい。さらに言えば,私たちはきわめて騙されやすい生き物だが,それは巧妙なデザインの結果そうなったというよりは,どうやら進化が手軽な解決策を採ったからであるらしい。以上をまとめると,私たちのものを信じる能力を支えるシステムは強力ではあるけれども,迷信や他からの働きかけ,欺瞞に対して脆弱にできている。これはけっして看過できない状況である。私たちがものを信じること,あるいはそういった信念を評価するために欠陥のある神経系に頼らざるを得ないという事情によって,家庭内の反目や宗教戦争,果ては戦争までが引き起こされ得るからだ。
ゲアリー・マーカス 鍛原多恵子(訳) (2009). 脳はあり合わせの材料から生まれた:それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ 早川書房 pp.62-63
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