人の注意を特定の情報に向けさせることでその人をたやすく操作できるというのが,「焦点を絞ることによる錯覚」と呼ばれる現象だ。ある単純だが示唆に富む研究では,大学生が2つの質問に答えるように指示された。その質問とは,「あなたは人生一般にどのくらい満足していますか」と「先月何度デートしましたか」だった。一方の学生グループは,この順番で質問された。もう一方の学生グループは順序を入れ替えた形で質問を受けた。つまり,2番目の質問が先で,1番目の質問が後だった。幸せに関する質問を先に訊かれたグループでは,2つの質問に対する学生の答えにほとんど相関は見られず,あまりデートしていなくとも幸せだと答えた学生もいれば,頻繁にデートしていても悲しい思いをしていると答えた学生もいた。ところが,質問の順番を反対にすると,学生の注意は恋愛に集中した。突然,恋愛と幸福を切り離して考えられなくなったのである。頻繁にデートしている学生は幸せと感じ,あまりデートしていない学生は不幸せと感じた。違いは一目瞭然だ。デートの質問を先にされた学生の判断は,デートの頻度と強い相関を示した(幸福感の質問を先にされた学生の場合はそうではなかった)。この結果にあなたは驚かないかもしれない。が,じつは驚くべきなのだ。というのも,このことは私たちの思い込みや信念が,本当はひどく何かの影響を受けやすいことを如実に示しているからである。私たちの自己評価すら,その時点で何に心の焦点が合わさっているかに影響されるのだ。
ゲアリー・マーカス 鍛原多恵子(訳) (2009). 脳はあり合わせの材料から生まれた:それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ 早川書房 pp.67-68
PR