当然,祖先型システムが下すにふさわしい決断があり,状況によってはこのシステムでなければ無理な場合すらある。瞬間的な決断をせねばならない場合を考えよう。ブレーキを踏むか,隣の車線に移るかを決めねばならないとき,熟慮型システムでは,いかにも遅すぎる。同様に,多くの変数がからんでいるときは,意識を持たないシステムのほうが,一定の時間を与えれば,意識ある熟慮型システムより優れた決断をすることがある。目の前の問題がスプレッドシートを必要としそうならば,統計に秀でた祖先型システムの出番かもしれない。マルコム・グラッドウェルは近著『第1感「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』でこう論じる。「瞬時の決断は,意識して考えた末の決断と同じくらい有効なことがある」
それでも,むやみやたらに本能を信じてはいけない。私たちが瞬時の決断を下せるのは,同様の問題について豊富な経験を有しているからである。一瞥して贋作をそれと見抜いたという学芸員など,グラッドウェルが挙げる事例の大半は,素人ではなく専門家のエピソードだ。オランダの心理学者アプ・ダイクステルハイスは,世界でも有数の直観に関する研究者である。彼の弁によると,私たちの最良の直観は,長年の経験に支えられた,意識を経由しない思考の末に得られたものであるという。効果的な瞬時の決断(グラッドウェルの「ひらめき」)は多くの場合,時間をかけて丁寧に焼き上げたケーキに,最後にほどこす砂糖掛けのようなものにすぎない。これまで経験したことのあるものとはかなり異なった問題に直面したときには特に,もっとも頼りになるのは熟考推論である。
ゲアリー・マーカス 鍛原多恵子(訳) (2009). 脳はあり合わせの材料から生まれた:それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ 早川書房 pp.135-136
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