より一般的に言えば,現代生活は進化心理学者が「ハイパーノーマル」刺激と呼ぶ,普通の生活ではあり得ない「完全無欠な」刺激に満ちている。解剖学的にあり得ないプロポーションのバービー人形,エアブラシで補正されたモデルの顔写真,ポップでテンポのよいMTVの画面転換,ナイトクラブの人工的なドラムビート。こうした刺激は祖先の世界にあったどんなものより純粋な喜びをもたらしてくれる。ビデオゲームがもっともいい例だ。私たちがゲームを好むのは,それが自分が何かを支配しているという感覚を与えてくれるからだ。難しいゲームも難関をクリアできる限りにおいては好ましいが,その感覚が消えたとたんに興味は失われる。公平に思えないゲームが面白そうでないのは,自分が進歩したという感覚をもたらしてくれないからだ。ゲームはレベルが上がるごとに満足感が強まるようにつくられている。ビデオゲームは支配欲にかかわるだけではない。その強化にかかわっている。この,技巧を習得すると報酬を与えるという自然過程のハイパーノーマル版は,習熟度に応じてできるだけ頻繁に快楽を与えるようにデザインされている。ビデオゲーム(業界がその開発・製造に年間数十億ドルをかける)が一部の人にとって実生活より楽しいと感じられるものにまでなったなら,それは遺伝子にとって死活問題だ。これらのゲームは快楽を見つける私たちのメカニズムに生得的な隙があることを利用しているからである。
ゲアリー・マーカス 鍛原多恵子(訳) (2009). 脳はあり合わせの材料から生まれた:それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ 早川書房 pp.192-193
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