科学は「スペア臓器」のための幹細胞クローニングが間違っているかどうかを言うことはできない。しかし,幹細胞クローニングが,組織培養のような久しく認められてきたものと道徳的にどこが異なるかを説明せよという難題を突きつけることはできる。組織培養は,数十年にわたってガン研究を支える大黒柱となってきた。有名なヒーラ(HeLa)細胞系列は,1951年に亡くなったヘンリエッタ・ラックスという女性の細胞に由来するもので(HeLaは,彼女の姓と名の頭の二文字ずつをとってつなげたもの),現在では世界中の研究室で育てられている。カリフォルニア大学のある典型的な研究室では,1日あたり48リットルのヒーラ細胞が増殖させられているが,これはこの大学の研究者たちに日常的に供給するためのものである。世界全体で1日あたりのヒーラ細胞の生産量は数トンにおよぶに違いない---すべてがヘンリエッタ・ラックスの巨大な1つのクローンをなしている。この大量生産が始まってから半世紀がたつが,これに異議を唱えた人は誰もいないように思われる。今日,幹細胞研究を中止せよと煽り立てている人々は,彼らがヒーラ細胞の大量培養に異議を唱えない理由を説明しなければならない。二股をかけることはできないのだ。
リチャード・ドーキンス 垂水雄二(訳) (2004). 悪魔に仕える牧師 なぜ科学は「神』を必要としないのか 早川書房 p.66.
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