情報時代と言われる現代,子どもたちにとって情報を見つけるのはたやすい。ところが,それを解釈する段階になって問題が生ずる。(本書ですでに触れた)「まずは信じて,後で質問する」という私たちの性癖は,インターネット時代においては危険きわまりない。なにしろ今は,何の資格もなくとも誰でも公開できる世の中なのだ。ところが,研究に次ぐ研究が,ティーンエージャーはインターネットで読む情報をしばしば額面どおりに受け取ると示している。たいていの生徒はウェブページを書いた人が誰であるか,その人物はどのような資格でそれを書いているのか,その情報を他の情報源が認めているか否かを確認することはほとんどないか,あってもときどきという程度だ。ウェズリー・カレッジの研究者2人によれば,「学生はたいてい,情報の正確さにはほとんど注意を払わずに,インターネット情報を主たる情報源として活用している」。これは大半の成人にしても同じである。あるインターネット調査によれば,「平均的な消費者は[ウェブ]サイトの内容より,視覚的キューなどの見かけの特徴に注意しがちだった。例を挙げれば,調査の対象となった消費者総数の半分近く(46.1パーセント)が,サイトの信頼性をレイアウト,モーション・グラフィックス,フォントサイズ,配色といった,サイト全体の視覚的デザインの訴求力にもとづいて判断していた」
だから私たちはウィキペディアとインターネット接続だけでなく,学校を必要とするのである。もし私たちが生まれつき思考に秀でており,何事も鵜呑みにせずに疑念を抱き,バランス感覚に優れているならば,学校など無用の長物だ。
ゲアリー・マーカス 鍛原多恵子(訳) (2009). 脳はあり合わせの材料から生まれた:それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ 早川書房 pp.251-252
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