人間の経験は,現実すべてについての記述を何らかの形で編集するものである(「我々はあまりにたくさんの現実には耐えられない」)。我々の感覚は,提示されている情報の量を切りつめる。目はきわめて狭い範囲の振動数の光を感じ取り,耳が感じる音の音圧と振動数はある範囲のものに限られる。我々の五感にかかる世界についての情報を何から何まですべて集めていたら,感覚器官はつぶれてしまうだろう。遺伝子の資源は乏しいので,捕食者から逃げる,あるいは食物となるものを捕らえるための情報を取ってくる量が少ない器官は犠牲にして,必要な情報を収集する器官に偏って集中することになるだろう。環境についての完全な情報というものは実物大の地図をもつようなものである。地図が役に立つとすれば,実地の中からもっとも重要な側面を簡約し,要約して封じ込めていなければならない。情報を短く圧縮しなければならないのである。脳はそうした短縮を行えるものでなければならない。またこのような簡約が,ある幅の時間や空間にわたって可能になるためには,環境の側も,それなりに単純でそれなりの秩序を示すものでなければならない。
ジョン・D・バロウ 松浦俊輔(訳) (2000). 科学にわからないことがある理由 青土社 pp.20-21
(Barrow, J. D. (1998). Impossibility: The limits of science and the science of limits. Oxford: Oxford University Press.)
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