古代の権威者たちは,神らしい行動と神にふさわしくない行動とを細かく区別しようとして,後者は神という属性をもった存在にとって論理的に不可能なのだと見た。しかしこの区別も,現代の目から見ると,かなりあぶないように見える。奇蹟を擁護する人々の中には,この宇宙においてありうることについての我々の知識が不完全であることを強調し,神の行動を自然界の法則に対する例外ということで折り合いをつけようとしてきた人もいるし,初期条件が少しでも違えばその後の進行が大きく変わるような状況については未来がどうなるかはわからないということで,それを説明しようとしてきた人々もいる。
ユダヤ教やキリスト教の宗教的伝統を見ると,人間には「不可能な」ことが神にはできるというのが決定的な特徴である。その昔の17世紀,トマス・ブラウンが論じたように,「ありうることだけを信じたのでは信仰にならない。それは単なる哲学だ」。この特徴も,神と人類との決定的な違いの1つを定めるのに使える。人間の限界は,神と人類の間の大きな溝を固定するものである。たとえば,呪術師や巫女が出てくると,彼らは,奇蹟と見える力を示し,他の者にはできないことを演じる能力によって,自分の地位を認めさせようとした。宇宙の階層構造では,行動に対する限定が少ないほど,その限定が弱いほど,身分が上がるという見方を推奨したのである。
ジョン・D・バロウ 松浦俊輔(訳) (2000). 科学にわからないことがある理由 青土社 pp.27-28
(Barrow, J. D. (1998). Impossibility: The limits of science and the science of limits. Oxford: Oxford University Press.)
PR