全知の欠如によって保証される限界は,否定的にばかり見るべきではない。誤りや不首尾は学習する過程においては大きな役割を演じている。不首尾にぶつかったときは,その状況を全体として再評価し,立てた仮定を再検討する。この点について,人工知能が人間のすることをどの程度真似できるか,まだまだ不明である。進化の途上のある段階で,人間は想像力という機能を発達させるようになった。それによって人間は,可能なこととともに不可能なことについても学習できるようになった。それによって,世界のことを理解するという能力は,格段に領域が拡大し,速度も上がった。なかでも見逃せないのが,ありえない事物を考えられるという点である。実は,たいていの人々が,ありえないことであっても,それがありうると思うだけでなく,現実のものだと信じて日々の暮らしを送っている。たいていの人は,ありえないことよりもありうることに関心がある(この姿勢はプラグマチズムと呼ばれることもある)。しかし一部の人々は,ありえないことの方に関心を向ける。だからといってそういう人々がただの観念論者であり空想家だということではない。空想による文学や芸術というのはすべからく,言語的・視覚的にありえないことによって立てられる課題に発しているのである。
ジョン・D・バロウ 松浦俊輔(訳) (2000). 科学にわからないことがある理由 青土社 pp.32
(Barrow, J. D. (1998). Impossibility: The limits of science and the science of limits. Oxford: Oxford University Press.)
PR