我々の心と体が有している能力はもともと,今はもうない環境によって課せられる問題に対する答えだったという点を,きちんと認識することが重要である。その過去の環境との適応関係には今も残っているものがあるが,多くはもうない。それらが最適である必要はないということを認識するのも大切である。分別があってしかるべき科学者も含め,多くの人々が,生物の有する適応の驚異的な緻密さに心を奪われ,それが完璧な適応であると思い込んできた。しかしこれは真相からは遠い。人間の眼は見事な光学的装置ではあるが,ありうるものの中で最善とは言えない。蜜蜂は材料を有効に利用して蜂の巣を作るが,数学者はもっと効率的なものがありうることを知っている。別に驚くことではない。環境条件に完璧に適応するとなると,無理なほど高価につくかもしれない。資源をじゃんじゃん使って完璧な適応に投入すれば,別の部門ではより不完全な適応で甘んじなければならない。あたりまえに乗る車のために,100年はもつきわめて高価な点火プラグを買うことにどんな意味があるだろう。まったく意味はない。点火プラグ以外の部分は100年に遠く及ばないうちに故障してしまうだろう。
ジョン・D・バロウ 松浦俊輔(訳) (2000). 科学にわからないことがある理由 青土社 pp.155-156
(Barrow, J. D. (1998). Impossibility: The limits of science and the science of limits. Oxford: Oxford University Press.)
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