科学者がアイデアを出すのにいちばん脂がのっている時期にあり,新しい結果がどんどん出てくるとすると,その黄金期が終わるなどとは思いたがらず,終わることはありえないと思うことになるだろう。自分が中心的な役割を果たしている新しい急速な変化の時期が,旧理論の放棄から出てくる直接の結果である場合には,その思いは強められるものだ。逆に,科学者の想像力が衰えつつあれば,自分の能力の衰えをいちばん合理化し安心させてくれることは,その分野全体がもう成果があがらなくなりつつあり,新しい発見という収穫が着実に減りつつあり,いつかすべて枯渇してしまうかもしれないと思うことである。自分の人生のパターンが科学全体の歩みの鋳型であると想像することはたやすい。奇妙なことに,この傾向は,科学における創造的活動のレベルと相関している必要はない。実際,負の相関になっていることもある。かつて活動的だった研究者は,自分の力が衰えているという現実を,その分野が他の人々によって活発に推進されているときにこそ強く感じることがある。ある分野のかつての指導者には,この前進の方向全体に強く反対するという形でその前進に反応する傾向がある。彼らがかつて科学界の世論に逆らって進むことで重要な前進をなしたとしても,これまでと同じことを続けたいと思う傾向が必ずあって,それは証拠の力とはほとんど無関係である。
ジョン・D・バロウ 松浦俊輔(訳) (2000). 科学にわからないことがある理由 青土社 pp.193
(Barrow, J. D. (1998). Impossibility: The limits of science and the science of limits. Oxford: Oxford University Press.)
PR