だが,このように人々を分類することに意味があるのだろうか?読者のなかにはあらためてそう問う人がいるかもしれない。人間とは多様な存在であり,世の中にはひとりとして同じ人間はいないのだから,分類という<檻>のなかに入れることが意味を持つのか,と……。
この疑問に対しては,気象の比喩で答えたい。毎日の空模様は,ひとつとして同じものはない。風や雲の動き,太陽の位置は刻々と変化していくので,空の状態がまったく同じになることはほとんど不可能だと言ってよい。しかし,だからといって,空の様子を分類することには意味がないだろうか?たとえば,気象学では雲の種類を積雲,乱雲,絹雲,層雲の4つの基本形とその複合型(積乱雲等)の合計十種類に分けているが,これなどは分類としては簡単なものである。だが,雲が出ている空の状態を説明するということであれば,この十種で十分こと足りるのだ。もちろん,同じタイプに分類された2つの性格がまったく同じではないように,同じように積雲が出ている2つの空はまったく同じではない。しかし,それでも分類することは可能だし,それなりに意味のあることなのだ。
もう少し気象の比喩を続けよう。雲を分類する知識があるからといって,素晴らしい空に感動する能力が失われるわけではない。それと同じように,性格を分類する知識を持ったからといって,いつでも友人を分類するはずもなく,ましてや豊かな交友関係が結べなくなるはずもない。むしろその反対に,雲についての知識があれば,これから天気がどうなるか予想することができるように,性格についての知識があれば,ある種の状況においては人とうまくやっていくことができるようになるのである。
フランソワ・ルロール&クリストフ・アンドレ 高野 優(訳) (2001). 難しい性格の人との上手なつきあい方 紀伊國屋書店 pp.21-22
(Lelord, F. & Andre’, C. (1996). Comment gérer les personnalités difficiles. Paris: Editions Odile Jacob.)
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