つまり,「(職人ではなく)アーティストになりたい」とは,この社会に埋没したくないという欲求である。職人のように,社会の歯車になりたくない。どこまでも「自由」でありたい。あまりにも青臭い発言なので,こんなことは世間知らずのナイーブな中学生でもない限り,誰も口にしない。実際,世捨て人にでもなって一人で山に籠ったりするのでなければ,そんな「自由」な生き方は無理なのだ。誰しも,この社会のどこかに身を置き,税金を払い,人間関係を作り,何らかのしがらみに囚われて生きていくしかないわけだから。アーティストとて例外ではない。
だからこそ,アーティストにとって,社会にどっしり腰を据えてモノを作り,それで着実に生活の糧を得ている職人は,無視できない怖い存在でもある。目に見えない自由だの創造性だのより,日々の生活の中では目に見える確かな技術がものを言う。それで充分人々を満足させ,幸せにすることができる。だとしたら,自分が社会の中で実質的にできることは何なのか,自分は作品によって人々にいったい何を提供しているのか。このことを深く考え込んだことのないアーティストはいないだろう。
大野左紀子 (2011). アーティスト症候群:アートと職人,クリエイターと芸能人 河出書房新社 pp.138-139
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