若者の「自分らしさ」へのこだわりは,個性重視の風潮の中で育ってきたゆえのものである。さらに,人並みに働いても先は知れていると思い知らされると,「好きなことだけ」したいという欲求が生まれるのは,ある意味当然のことだろう。テレビをつければ,素人に毛の生えたような歌手がアーティスト扱いされている。デザインの雑誌には,自分にも描けそうなイラストが掲載されている。カメラ付携帯電話で撮った写真をちょっとフォトショップで弄って友人に送ったら,「スゲーカッコいい」と絶賛された。これなら楽勝じゃん。ささやかなことから,だんだん「自分流」に対する自信も醸成されてくるのである。「自分流」は,文脈によって2つの意味に解釈される。1つは基本をきちんと押さえねばならないのに,そこは適当にお茶を濁して自己流でやって失敗した,といった場合。もう1つは「俺には俺の流儀がある」という積極的で自信に満ちた自己流である。
多いのは,物事の見通しが甘い前者だが,その失敗の原因は往々にして後者にある。基本という誰もが通らねばならない道をバカにし,「俺には俺の流儀がある」と自信過剰になっているから足をすくわれるのである。基本をマスターした上で自然と出てくるもの,自分では意識しないが滲み出てくるのが正真正銘の「自分流」だろう。しかし「自分流」好きな人は,そこんところがわかっていない。基本を軽視するのは,プロセスが面倒臭いからである。コツコツやるより,早く結果が欲しいのだ。コツコツやろうという姿勢が元からあったら,そもそも「下流」で甘んじてやしない。でも自己流の人にそういう発想はない。そんな地味なことをじっくりやっていたら,すぐジジイになってしまうじゃないか。オヤジのように。それなら「自分流」でショートカットだ。
大野左紀子 (2011). アーティスト症候群:アートと職人,クリエイターと芸能人 河出書房新社 pp.226-227
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