上品なリベラル派は,十分に大きな声で叫ぶすべての人間の言い分をできるかぎり聞き入れようとする最大限の努力を払って不可知論的な懐柔策をもちだすが,かえって,以下のようなよく見られるだらしのない思考を,滑稽なほど延々とつづけさせることになってしまう。それは,ほぼ次のように進む。あなたは否定を証明できない(ここまではまあいい)。科学は超越的なものの存在を反証する手立てをもたない(これは厳密に正しい)。したがって超越的なものへの信仰(あるいは不信)は,純粋に個人の好みの問題であり,したがって両者とも同等の敬意をもって遇されるべきものである!あなたがそういう類のことを言うとき,誤りはほとんど自明である。帰謬法について説明するまでもないだろう。バートランド・ラッセルから要点を借用すると,私たちは,「太陽のまわりを楕円軌道を描いて公転するティーポットがある」という理論についても,同じように不可知論的でなければならない。私たちはそれを反証することができない。しかしそのことは,ティーポットがあるという理論が,それがないという理論と同レベルの条件にあることを意味しないのだ。
リチャード・ドーキンス 垂水雄二(訳) (2004). 悪魔に仕える牧師 なぜ科学は「神』を必要としないのか 早川書房 p.262.
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