ハーシーは,ミルク入りチョコレートの大量生産を,フォードがベルトコンベアーを自動車工場に導入するよりも早くに工場に導入した。こうした量産化の技術をもって,第二次世界大戦時には,軍からの要請を受け,兵食用の携帯食料としてのチョコレートを大量に生産している。兵食用のチョコレートは,あくまで非常食として高温に耐えられることが要求され,日常的に食べたくなるようなものではなく,味に関してはむしろ美味しくないことが要求された。軍の要求したレベルは,「茹でたジャガイモよりややましな程度」だったという。
戦後の日本の子どもたちが進駐軍の兵隊たちに「ギブ・ミー・チョコレート」とねだった話は有名だが,戦争末期につくられた軍用チョコレートは,味の面などに改良が加えられており,一般向けのお菓子のチョコレートに近い味だったようだ。「茹でたジャガイモよりややましな程度」ではなかったのだ。
速水健朗 (2011). ラーメンと愛国 講談社 pp.88
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