日本でもおなじみのケロッグ社のコーンフレークの誕生は,終末論的な新興宗教と結びついている。コーンフレークの生みの親の1人,ジョン・ハーベイ・ケロッグ博士は,セブンスデー・アドベンティスト派伝道教会が運営する健康改善療養所の所長を務めていた。この療養所とは,富裕層(この療養所には,ヘンリー・フォードI世もいた)向けの食餌療養による健康法を提供するという目的のものだった。ケロッグ博士が力を入れていた研究は,禁欲をよしとするこの一派の宗教的な理想を目指し,性欲を抑制するための食品を科学的に開発しようというものである。
ケロッグ博士は,女性にはそもそも性的感情はないと理解しており,男性が持つ性欲も,食品によって後天的にもたらされると思っていたようだ。ケロッグ博士には妻がいたが,生涯にわたり一切の性交渉を持たなかった。そして,博士は,自分はそのことにより妻に感謝されていると勘違いすらしていた。
ケロッグ博士には弟がいた。弟のウィリアムは,兄の推薦で,この療養所で事務長を務めていた。兄のケロッグ博士は,穀物をパリパリのフレークに加工する研究を行っていた。全粒食品は性欲抑制に効果があるとして,療養所のメニューとして研究を始めたのがきっかけだった。
1906年,水に浸した全粒のとうもろこしを焼き上げることで,美味しく食べられるコーンフレークの開発に成功したケロッグ博士は,経営の才能のある弟と一緒にケロッグ社を創設する。だが,このコーンフレークの商品化の段階に至って,2人は決裂してしまう。商品をヒットさせるために,コーンフレークに砂糖をまぶしたことが,兄のケロッグ博士の逆鱗に触れたのである。なぜなら,砂糖は性欲を促進すると博士は考えていたからだ。
だが,弟は兄の反対を押し切ってコーンフレークを商品化した。ケロッグ社のコーンフレークは大ヒットし,弟はすぐさま大規模な工場をつくり,量産体制を整えた。
速水健朗 (2011). ラーメンと愛国 講談社 pp.89-91
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