科挙の始まった6,7世紀の頃からのち数百年間は,官吏となる以外に利殖の道が少なく,下って明代頃から商売に身をいれれば,らくに暮らせるような世のなかになったが,しかし商人では肩身がせまい。その上,大商売をしようとすればどうしても身を卑下しつつ官辺と連絡をとらねば不便なので,そんな屈辱をしのんで金をもうけるよりも,官吏そのものになって堂々と好運をつかむのが一番賢いやり方なのである。
そこで世人が争って科挙の門をめがけて殺到するから,広い門もだんだん狭くなる。競争が激しくなればなるほど,それに打ちかつには単なる個人の才能よりも,個人をとりまく環境が大いに物をいうことになる。もし同程度の才能に生まれついていれば,貧乏人よりは金持が有利,無学な親をもつよりは知識階級の家に生まれた方が有利,片田舎よりも文化の進んだ大都会に育った方が有利だということになる。その結果として文化が地域的にいよいよ偏在し,富もまたいよいよ不公平に分配されるようになる。
中国は土地が広く人口も多い。そのなかから,最も環境に恵まれ,才能に富んだ人たちが集まって必死の競争を展開するのだから,科挙はますますむつかしい試験になる。試験地獄がもし起こらなかったら,その方が不思議であろう。
宮崎市定 (1963). 科挙:中国の試験地獄 中央公論社 pp.7
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