これが本当ならまことに恐るべきことである。閻魔さまや天帝は,その部下を使って世界中にアンテナを張りまわし,人間の善事悪事をキャッチして,それに相応する賞罰をあたえる。人間は寸時も油断できないのである。これが中国で普遍的に行われる道教の実践道徳の根底に横たわる思想なのである。
こういう立場からすると,試験審査官の少々のの不公平も,実は,受験生自身の宿業だということになってしまう。試験の成績発表があるごとに,世上にはいろいろの取り沙汰が行なわれる。やれ何番目の合格者は賄賂の結果だ,やれ何番目は文章が下手で有名な男だ,やれ何番目は品行のよくなかった男だ,どうのこうのと非難が起こりやすい。すると別の見方をする側では,いや最初の場合は先祖代々陰徳を積んだ家だ,第二の場合は親孝行な男だ,第三番目の場合は人知れずこっそりと善事を行なっていた男だ,などと弁護する人間も現れる。
宮崎市定 (1963). 科挙:中国の試験地獄 中央公論社 pp.161-162
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