科学の歴史,とりわけ医学の歴史の大半は,1つのパターンを示しているように見える---しかし,そう見えるだけの---個別の物語の表面的な魅惑から,徐々に乳離れしていく過程であった。人間の心は,ほしいままに物語をつくりあげるものであり,それ以上に,あたりかまわずにパターンを探し求めるものである。私たちは雲やトルティーヤのなかに人間の顔を見いだし,お茶の葉や星の運行に運勢を見る。しかし,それが見かけだけの幻影ではなく,真のパターンであることを証明するのはきわめて難しい。人間の心は,早合点し,ランダムでしかないところにパターンを見てしまう素朴な傾向を疑うように学習しなければならないのである。これこそ,統計学が必要な理由であり,いかなる薬または療法も,統計的に解析された実験によって実証されるまでは採用するべきではない理由である。そうした実験では,人間の心の,誤りやすいパターン探索の性癖が体系的に取り除かれる。個人的な物語は,いかなる一般的傾向についても,けっしてすぐれた証拠になりえない。
リチャード・ドーキンス 垂水雄二(訳) (2004). 悪魔に仕える牧師 なぜ科学は「神』を必要としないのか 早川書房 p.324.
PR