このように見ると,科挙が万人の門戸を解放するという看板には掛け値があることになる。確かにそうなのだが,これも時代と比較してから批評しなければ片手落ちになる。なにしろ時代は今から千年も前のことである。ヨーロッパにはまだ封建制度が幅をきかしていた時代である。家柄も血筋も問わず,力のあるものはだれでも試験を受けることができるという精神だけでも,当時の世界でその比をみない進歩したものであったといえよう。そして中国は宋代以降,つい近頃に至るまで,社会構成の本質はあまり変わらず,金持と貧乏人との距離がはなれたままで続いてきたために,科挙の制度も,ほとんど宋代のままで受けつがれてきたのだった。これをヨーロッパの社会に比較すると,その当時においては非常に進んでいたものであったが,後世になると,すっかり時代遅れの制度になっていたのである。
宮崎市定 (1963). 科挙:中国の試験地獄 中央公論社 pp.
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