次に科挙がもつ優れた利点としては,それがきわめて公平に行なわれる点にある。答案審査は姓名を見ずに,座席番号だけで行なわれるのもその一例である。さらに郷試,会試においては,答案そのものには審査員が手をふれず,ただその写しを見て採点するというようなやり方は,現今の世界においてもその比を見ない。そして世間が科挙に期待し,その合格者を尊敬するのも,この科挙の公平さを信じてのことである。
しかしこれにも限界があり,科挙はしばしば受験生,および当事者自身の手によって,その公正が歪められる事実が起こった。いったい試験の競争があまり激しくなると,受験生の方ではなんとしても受かりたい一念から,つい安易な不正手段に頼ろうとする。そして一度不正が成功すると,やらぬ方が損だという気になり,次第に不正手段が蔓延しだすのである。豆本を試験場へ持ちこむことはおろか,ひどいのは絹地の肌着にいちめん,四書五経の本文を書きこんで入場する。まさにランニングシャツではなくカンニングシャツだと駄じゃれをいいたくなる代物である。もっとひどいのは替え玉である。これはあとで多額の報酬にありつくらしく,優に商売として成り立つといわれた。優秀な答案書きの選手が現れて,何人分も請け負うのである。清朝の末年,19世紀の後半になって特にこの弊害がはなはだしく,中でも南京の郷試に盛んで,全国的に名の通った代理屋が繁盛した。その風がやがて北京にも伝染し,劉某なる者は会試の際に自分のほかに二人分の答案を書いて,それがみな合格したのみか,一人は第一番の会元になったという。そんな風聞があとで殿試の審査員の耳にも入り,審査員らはきをつけてよい点を与えぬよう用心し,みな三甲に落としてしまった。そして劉某は筆跡が美しく,本来ならば翰林院官になれるところを,わざと退けて政府の小役人に用いたという。これはさんざんもうけすぎた罰であろう。
宮崎市定 (1963). 科挙:中国の試験地獄 中央公論社 pp.195-196
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