遺体を生きた姿に近づけるのは,身元の確認をより確実に行うためである。ゴスの指摘するように,死者の表情は,時として「故人を知る者でもそれが誰であるのかを言うのを難しくして」しまう。確かにモルグにおいては,身元の判明する割合の高さが誇られる一方で,赤の他人の遺体が家族や知人だと誤認されるケースは後を絶たなかった。防腐処理を施されて公開された1840年のラ・ヴィレットの少年の遺体には,当初から複数の情報が寄せられる。なかでも少年を自分の息子だと認めた40歳前後の女性の場合は,親類や近隣の者もこの女性の証言を追認したため,真相は解明されたかに思われたものの,やがてそれも「すでに曖昧な記憶」による思い込みでしかなかったことが判明する。蝋型の製作された1876年のバラバラ殺人事件においても,モルグには連日のように身元にカンスル情報が寄せられ,日によっては10件近くにも達したが,そのすべてが「腐敗による死者の表情の変化に起因する」他人の空似だった。同様に他人の空似により,モルグの死体のなかに,子供のようにかわいがっていた甥っ子の姿を認める農夫や,5年間行方知れずだった夫の遺体を見つけたと思い込む女性のエピソードを伝えるエルネスト・シェルビュリエは,こうした勘違いが笑いごとで済むうちはよいものの,仮に誰かを死んだことにするために意図的に仕組まれたとしたら,事は極めて甚大であると指摘する。
橋本一径 (2010). 指紋論:心霊主義から生体認証まで 青土社 pp.54-55
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