犯人が現場に指紋を残すことはあっても,計測値を残していくことはあり得ない。分類法としては死紋と互角に渡り合えるはずだった人体測定法も,現場指紋に対しては自らの負けを認めざるを得なかった。この欠点を補おうと,アルフォンスの弟ジョルジュ・ベルティヨンは,犯罪者が現場に残した衣服から,その犯罪者の身体のサイズを推測する方法についての医学博士論文を仕上げ,1892年に刊行する。しかし殺人犯が「殺した人間の服を着て,自分の服は近くに隠したり,死体に着せたりする」というようなケースが,ジョルジュの言うように「しばしば」発生するとは考え難く,結局のところはこの研究も,美しき兄弟愛を物語るエピソードの域を出るものではなかった。指紋法とベルティヨン法のどちらを導入すべきか検討していた国々にとって,現場指紋の価値は,その決定に少なからぬ影響を与えたはずである。日本においても平沼騏一郎は,1908年の指紋法導入の直前に行なった「累犯発見の方法に就いて」と題する講演において,指紋法が累犯者の発見以外にも「尚ほ大なる効用がある」としながら,強盗が現場に残したコップなどから採取した指紋から犯人を特定するといいう活用法を紹介している。
橋本一径 (2010). 指紋論:心霊主義から生体認証まで 青土社 pp.130-131
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