ゴルトンもまた,精神病院の医師の協力を得て,「最悪の白痴者たち(the worst idiots)」から多数の指紋を採取したが,「それらのいずれにも特筆すべき違いは見られなかった」。人種による違いについても,ゴルトンは「大きな期待」を抱いていたが,その期待は裏切られることになる。彼はウェールズ人,ユダヤ人,黒人,バスク人などから指紋を採取して慎重に調査したものの,「それらのいずれかに特有のパターンは見られない」と言わざるを得なかった。遺伝の研究に関しても目覚ましい成果を上げるには至らず,それが結局ゴルトンを指紋から遠ざけることになったのは,すでに見たとおりである。双子の間ですら(模様に似た特徴は見られるにせよ)異なると言われる指紋は,「万人不動」であるからこそ価値を持つのであり,このような指紋を遺伝の研究,すなわち親と子の間の共通の特性を見出そうとする研究に用いるのは,そもそも矛盾することだった。サイモン・A・コールの指摘するように,「すべての指紋は唯一無二なので,ある指紋が他の指紋からの遺伝であると判断するのは,容易なことではなかった」のである。やがて指紋の科学的研究は身元確認の分野に特化し,生物学においても遺伝はもっぱら遺伝子の問題となり始めたために,指紋を用いた遺伝や種差の研究は,コールによれば1920年代までにはマイナーなものとなっていく。古畑種基(1891-1975)を中心に20世紀半ばまで指紋による遺伝研究が続けられた日本は,例外的な例だと言えるのかもしれない。
橋本一径 (2010). 指紋論:心霊主義から生体認証まで 青土社 pp.165-166
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