京都御所は設計の段階から,敵が攻めてくることなど一切考慮されていない。まったく無防備な御所に住みつづけた天皇も,まさか誰かが攻め込んでくるなど想像もされなかったことだろう。民衆の蜂起に怯えるような事態も起きたことがない。それは,京都御所の前身である平城京や藤原京,それ以前の都に置かれた天皇の御所もすべて同じであった。
もしほんとうに天皇を暗殺しようと思ったら,薄くて高くもない塀1枚を越えれば,御殿は障子と襖で区切られているだけなので,あとは紙2枚程度で玉体(天皇の身体)まで辿り着けてしまう。それにもかかわらず誰も御所を攻めなかったのは,天皇を殺そうとする者がいなかったからである。国内で戦争が起きることはあっても,それは武家の権力闘争のための戦争であり,王朝を倒すための戦争はこれまで一度も起きたことがない。
もっとも,天皇や皇族が攻撃の対象となり,また皇居の周辺で戦闘が行われた例はある。だが,それらは壬申の乱や保元の乱など皇位をめぐる皇室内の抗争や,承久の変など天皇が倒幕のために挙兵をした例,また蛤御門の変など君側の奸を打ち払うとの大義に基づいたものに限られ,王朝を倒すためのものではない。
竹田恒泰 (2011). 日本はなぜ世界で一番人気があるのか PHP研究所 pp.184-185
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