親から名前を授かるのは,目立とう,個性豊かであろう,人とは違うところを見せようとする人生最初の行為である。個性重視がアメリカ人の生き方として広がりはじめたのは,つい最近のことだ。少し前なら,風変わりな名前はいじめられる心配があり,みなと同じ普通の名前のほうがよいとされていた。現在は個性的で目立つのがよいと考えられるようになっている(実際のところ,1990年代にカリフォルニア州で生まれた子供の223人が「ユニーク」と名づけられた。そのうえ,綴りを普通のものとは変えてさらに個性を強調している親もいた)。「カムクワット(金柑)って名前なら聞いたことないわ」とばかりにそう名づける親も出てきそうな勢いだ(この傾向は,ありふれた名前とそうでない名前が社会保障局などのウェブサイトで一目でわかるようになるずっと前からあった)。普通と違う綴りも流行している。マイケルやケヴィンも,Michael,Kevinではなく,Mychal,Kevynと綴ってもいいのではないかというわけだ。ジャスミンは女の子の名前としてよくあるものだが,綴りが少なくとも10通りはある。「いまや子供に名前をつけるのは,商品のネーミングを考えるような感覚だ。人と同じになりたくないという強い欲求が国中に渦巻いている」と『ベイビー・ネーム・ウィサード』の著者ローラ・ワッテンバーグは述べている。
ジーン・M・ドゥエンギ/W・キース・キャンベル (2011). 自己愛過剰社会 河出書房新社 pp.218
(Twenge, J. M., & Campbell, W. K. (2009). The Narcissism Epidemic: Living in the Age of Entitlement. New York: Free Press.)
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