1904年,ペンシルベニア州ラトローブのドラッグストアで働く,見習い薬剤師でソフトドリンク係のデイヴィッド・ストリクラーは,半分に切ったバナナで3種類のアイスクリームを両脇から挟んだデザートを提供した。値段は10セントで,この大型サンデー用にボート形をした器を特別に作らせている(彼のレシピは,バニラ,チョコレート,ストレベリーのアイスクリームを一列に盛り,縦半分に切ったバナナを左右に一片ずつ添え,チョコレート,パイナップル,ストレベリーのソースをかけ,ナッツを散らし,ホイップクリームを絞ってチェリーをトッピングするというものだった)。
3年後,およそ450キロ離れたオハイオ州ウィルミントンに住むE.R.ハザードは,自身が経営するレストランで似たようなデザートを出していた。ハザードはそれを“バナナ・スプリット”と名づけた。この2つの町はいま,どちらもこのデザートお発祥地だと主張している。同じような主張はオハイオ州コロンバス(1904年),アイオワ州ダベンポート(1906年)からも出ている。議論は続いているが,ペンシルベニアの町には,いちばん先に発案した証拠として,デイヴィッド・ストリクラーが特別注文したボート形の器の請求書兼送り状があると報じられた。ただし,これを書いている時点では,その書類は紛失しているようだ。
ダン・コッペル 黒川由美(訳) (2012). バナナの世界史:歴史を変えた果物の数奇な運命 太田出版 pp.97-98
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