1920年代後半までにユナイテッド・フルーツ社の企業価値は1億ドルを超えていた。6万7千人の従業員を抱え,650万ヘクタールの土地を保有し,32カ国で事業を展開し,教会からクリーニング店までありとあらゆる施設を経営していた。5千6百キロメートルにおよぶ電報線と電話線を張りめぐらせ,船と陸を結ぶ通信システムを整備していた。それは,貨物船が入ってきたとき,波止場の荷積みの準備ができているか確認するために開発されたものだ。傷みやすい果物にとって,時間はきわめて大切な要素である。合図を受けた作業員は,最長で72時間ぶっとおしで,収穫と積み荷の作業を続ける。さらに遠くパリにまでバナナを輸出し,砂糖,カカオ,コーヒーの市場でも最大のシェアを獲得しつつあった。活躍の場はフルーツ産業にとどまらず,アンドルー・プレストンは2つの銀行,保険会社1社,製鉄会社1社の代表の座についた。一方,多大なる影響力をもつユナイテッド・フルーツ社のマイナー・C・キースは,人々から“中央アメリカの王冠なきキング”と呼ばれた。
ダン・コッペル 黒川由美(訳) (2012). バナナの世界史:歴史を変えた果物の数奇な運命 太田出版 pp.109-110
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